こんにちは かつらお

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ようこそかつらお

れきし

  • 1923年 葛尾村誕生

    製鉄場(大鍛治場)

    昔の葛尾村は「染羽の国」と呼ばれ、後に陸奥の一郡となり、平安時代中期に作られた辞書(和名抄/わみょうるい)には、標葉郡(しねはぐん)という郡名で載っていた。中世には標葉氏の祖とされる本郡海東平氏の占有であったが、その一族の標葉四郎隆之が領し、後に相馬領となった。明治維新後も荘屋(江戸時代の村役人)で村政を治め、同4年までそのままで、明治初期に荘屋が廃止されて区長政治となる。区会所は浜通りに位置する双葉郡富岡町にあり、第24区と称した。同16年4月から各村合併の戸長制度が実施された。 同22年4月に町村制度が実施され、上野川、野川、落合、葛尾の4か村が合併して葛尾村、津島村も合併し、津島葛尾組合村が誕生。津島村に役場を置く。1923年(大正12年)3月31日、組合村が分村し、葛尾村として単独で歩みはじめた。

  • 1955年 太平洋戦争後

    昭和初期の行政区

    人口は太平洋戦争後の移住が落ち着きを見せた1955年の523世帯3062人をピークに、緩やかな人口減少が続き、55年後の2010年には470世帯1531人となっていた。産業では、明治期は農業、林業などを中心とする一次産業従事者がほとんどであり、終戦後の人口増加とともに建設、商業、運輸通信、サービスなどの二次、三次産業従事者が増加した。昭和30年に456世帯だった農家戸数の減少が昭和後期に顕著となり、2005年には232世帯まで減った。小学校は1874年に野川観福寺に校舎を設置し創立。新制中学校は1947年4月に発足。幼稚園は葛尾村へき地保育所の一室を借りて1975年4月に創設。昭和1963年には小学校児童数564人、中学校生徒数295人と当時は沢山の子供たちで賑わっていた。2008年では少子高齢化も進み、小学校児童数が68人台、中学校生徒数が49人となっていった。

  • 2011年 震災を経て

    2011年3月11日に東日本大震災が発生し、翌12日、東京電力福島第一原子力発電所1号機が水素爆発事故を起こし、さらに翌日の13日には同発電所3号機が爆発した。葛尾村では、3月14日に全村民に避難勧告をし、福島市のあづま総合体育館に避難、翌15日には会津坂下町に移動し、体育館、各旅館などをお借りして避難生活を送った。同年6月26日、三春町に応急仮設住宅が完成し希望する住民の入居が始まった。村内に飛散した放射性物質を取り除く除染作業が始まり、2016年6月には帰還困難区域に指定された野行地区を除く避難指示が解除された。

  • 2022年 現在

    2022年春には野行地区の避難指示も解除される見込みとなっている。避難解除後、帰還者や移住する方など村内で住み暮らす方が徐々に増えている。行政の応援職員や除染をはじめとする土木作業員をはじめ多くの方の温かなご支援もあり、関係人口が増えている。村内の団体によるインターン事業や被災地を巡るホープツーリズムなどもあり、学生をはじめとする若い世代との交流も増加中。2022年2月現在、村内居住者約440名のうち震災後の転入者が約25%と移住者の割合が多いのも特徴です。葛尾村人が一人二人と増えるよう、葛尾村移住・定住支援センター「こんにちは かつらお」をはじめ、葛尾村では様々な活動に取り組んでいます。